宗教と倫理の間(27)
○○寺支部 獅子風蓮
ヒューマニズム
一般の世間では、シュバイツァー博士といえばヒューマニズムの象徴のように言いますが、これまで見てきましたように、これは少々見当外れといえます。
ところでヒューマニズムという言葉自体があいまいな言葉です。ヒューマニズムとは、見方を変えると「人間中心主義」であり、人間の利益のためには他の動物が犠牲になるのは当然という部分があります。
西洋的な意味でのヒューマニズム(人間中心主義)は、キリスト教的な人間観にもとづいています。つまり、神は自分に似せて人間を作り、人間は他の動物の支配者となることを許されているというものです。キリスト教では人間を他の動物と区別し特別扱いしていますから、それを背景として西欧社会では、人間と動物の間には《深い深い溝》があるのです。
人間は、人間に対して危害を加えない動物を家畜としてあるいはペットとして飼うことはありますが、人間と動物は対等になることはありません。
それと同様に西欧社会では、人間は自然に対して挑戦し、自然を征服しようとしてきました。
そのおかげで自然科学が進歩し物質的に豊かな社会がもたらされたことは事実ですが、その反面、自然破壊、戦争、人心の荒廃、南北問題など近代文明のゆがみも大きな問題となっていることはご存じのとおりです。
それに対して仏法で教える自然観は、人間と他の動物を区別せず、自然と一体に考えるものであり、21世紀を救う思想として期待されているところであります。
シュバイツァー博士が《生命の畏敬》という考え方によって、「人間中心主義」を一歩乗り越えようとしたことは意味のあることだと思います。
けれどもシュバイツァー博士の「いきもの」に対するかわいがり方は私たち日本人にとって、いささか奇異に映ります。
有情と非情
私たちには、歴史的に、仏教思想あるいは東洋思想といってもいいかもしれませんが、そういったものがしみ込んでいるため、このように感じるのかもしれません。
仏法では、人間と動物は、まとめて「有情(うじょう)」と呼ぱれます。
一方、植物、魚、昆虫などは「非情(ひじょう)」に分類されます。
一般的に考えて、「喜び」、「怒り」などの感情を持ち、それを表面に表わすと考えられるものが「有情」で、感情を持たないと思われるものが「非情」とされます。
もっとも、魚などの脊椎動物に「感情」がないと積極的に証明することはできませんし、最近の研究によれば、サボテンなどは人間の言葉に反応するとも言われています。
そういう意味ではこの「有情」、「非情」の分類は絶対的なものとは言えないかもしれません。
しかし、キリスト教のように、人間だけを他の「いきもの」から区別し、両者の間に《深い深い溝》を作るのと違い、人間と動物を本質的に同じグループに分類した仏法の考え方のほうが、どちらかといえば現代の科学に、より近いと思います。
このような仏教思想の行き渡っていた日本では、江戸時代まで、ウシやブタなどの動物は「四つ足」といって食べてはいけないことになっていました。
明治維新とともにこのタブーがいとも簡単に消えてしまったのは不思議な気がしますが、現代の日本人にも「生きとし生けるもの」をいとおしく思うやさしい感情は残っているように思います。
童話に見る日本人の心情
西欧と日本の童話や絵本を比べて見るとおもしろいことが分かります。
西欧の童話の中には、「悪い狼」を煮えたぎった油の中に落としたり、「悪い狼」の腹を裂いたり、といった、よく考えると残酷なものが少なくないようです。
「クマのプーさん」という有名な童話があります。
一見、ほのぼのとしたヒューマニスティックなイメージがありますが、よく読んでみると「主人公の人間の男の子とそのまわりの愚かな動物たち」という露骨な人間中心主義を感じます。
一方、日本では、人間にも動物にもやさしい物語が好まれているようです。
私は、絵本や童話の評論家ではないし、あらゆる国の童話を調べたわけでありません。ですから、あるいは間違っているかもしれませんが、わが家の子どもたちが好んで読んでもらっている、「ノンタン」とか「グリとグラ」というような絵本をながめているうちに、そういう印象を持ちました。
宮沢賢二は、法華経思想を背景に持つ、詩人、童話作家として有名です。
彼の童話「夜鷹の星(よたかのほし)」は、他の生き物を食べることによってしか生きていけない「いきもの」の哀しさを描いています。
宮沢賢二ほどではないにしても、日本の作家によって作られた優れた文学作品の中には、仏教思想を背景に持つものが少なくありません。
そういった作品に接しながら育った日本人には、知らず知らずのうちに、程度の差はあるでしょうが、仏数的なものの考え方が染み込んでいるように思います。
ここでいう「仏教的なものの考え方」とは、「『いきもの』と人間を区別しない優しさ」と言い換えてもいいかもしれません。
一昨年でしたか、「矢ガモ」が日本中の注目を浴びたのは記憶に新しいことと思います。
昼食に鴨南蛮を食べながら「矢ガモ」をあわれむのは偽善ではないか? そんな批判も聞かれましたが、目の前に「矢ガモ」をみせられて、日本人の心に染み込んだ「『いきもの』に対する優しい気持ち」が自然に呼び覚まされたのではないでしょうか。
このように本来の日本人は、自然を大事にし、「生きとし生けるもの」を慈しむこころ優しい民族のはずでした。
しかし、物質文明が精神を蝕む現代、そして未来の日本人に、同様の「やさしさ」を期待するのは難しいかもしれません。
将来の日本、さらには世界にとって「慈悲」を説いた正しい仏法が広まることが望まれると思います。
しかし、創価学会が目指しているようなかたちの「広宣流布」、「世界広布」が実現すれば、素晴らしい世界になるのでしょうか。
創価学会ではよく、「国民の何割以上が入信したら広宣流布」というような議論をしていましたが、今から考えるとこれは非常に乱暴な議論だったことが分かります。
たとえ、数の上で多くの人が入信しようとも、それだけで理想の国や世界が実現するわけではありません。私はそう断言します。
(つづく)
宗教と倫理の間(28)
○○寺支部 獅子風蓮
前回まで、寺村輝夫著『アフリカのシュバイツァー』を参考に、シュバイツァー博士のことをいろいろ書いてきました。
しかしここまで原稿を書き連ねてきものの、少し居心地がよくありません。同じ医師として、ぐうたらな自分をたなにあげて、シュバイツァー博士を批判するのはフェアでないかもしれない……。そういう気持ちが、心のどこかにあります。
シュバイツァー博士は、今ほど交通の便が整っていなかった時代に、それをおかして、アフリカの奥地で黒人を救う努力をしたことは事実です。
まさに「苦難の道」を、キリストを意識しながら、歩んだのです。
「お前も同じ医者なら、そんな偉そうなことばかり言ってないで、シュバイツァー博士のように生きてみたらどうだ」
そう批判する声が聞こえてきそうです。
真の国際協力
シュバイツァー博士の時代とくらべて、今は、交通の便もよくなったし、熱帯病などの危険も少なくなったのですから、アジア・アフリカなどの医療援助を必要とする国に行きたいと思えば容易に行けるようになってきました。
「国際医療協力」あるいは「国境なき医師団」のようなルートで、「恵まれない国の人々」のために生きるりっぱな生き方だって、私が決意しさえすればできるのです。
実際、テレビやニュースでもそういう生き方を選択する若い医師や看護婦が紹介されることもあり、正直、「偉いな」と思います。
私は、ぐうたらなうえ自分に甘いので、家族を残してまで外国で苦労するのは、体力的にも精神的にもきついので、今のところそういう生き方は考えていません。
そんな私ですから、一個人としてのシュバイツァー博士の行動力、意志の強さには脱帽してしまいます。
しかし、こんなりっぱな博士ですら、当時の西洋での常識だった「白人中心主義」から抜け出ることはできませんでした。
そしてその結果、現地のアフリカ人の評価は、シュバイツァー博士が期待したものとは正反対でした。
シュバイツァー博士にしてみれば、こんなワリの合わないことはありません。
「あれだけ苦労をして黒人医療に尽くしたのに、黒人どもは私の悪口を言うとは」
天国か地獄かどちらにいるかは知りませんが、今ごろシュバイツァー博士は、こう言って悔しがっていることでしょう。
私は、こんなのはごめんです。
できれば、自分の努力が正当に評価されるような所で仕事がしたいと思います。
どうせ国際協力をするなら、真にその国のためになるような形の協力をしたいし、そのためだったら自分のできる範囲で貢献してもいいな、と考えています。
そもそも真の国際協力とは、どういうものなのでしょうか。確かに経済的な援助や、医療協力が求められる場合もあるでしょうし、それはそれで大事なことです。
しかし、現在世界の各地で起こっている問題の多くは、かつての植民地主義や冷戦構造、そして最近では民族紛争と宗教の違いが複雑にからまっているのです。
そういう政治状況を改善することなしに、真の国家建設はなく、有効な国際協力は望めません。
「立正安国」の原理
日蓮大聖人は、「立正安国論」で、国家の真の安定のためには「立正」つまり正しい仏法をその国の基本理念にすべきことを説かれました。
大聖人はまた一方で、橋を架(か)けたり、病人の世話をしたりといった社会事業・慈善事業により世間から尊敬を集めた他宗の「高僧」を激しく批判し、攻撃しました。大聖人はこのような行ないを、偽善と見抜き、不幸の原因である「謗法」、すなわち正しい仏法に背いた社会、政治を改めようとしたのでした。
私は、この「立正安国」の原理は、これからの日本の国際協力を考える場合に、重要な示唆(しさ)を与えると思います。
私たちの信ずる正しい仏法を広めていくのはもちろん大切なことですが、私はもう少し広く、この原理を「真の国家建設のためには、正しい思想を基盤にしなくてはならない」というふうに、一般化できるのではないかと考えています。
まず生活の基盤が整ったら、その後は、途上国の人々が自分たちの力で真の社会建設ができるよう、教育、文化の面での協力が必要です。
その後、その国の状況に合わせて、正しい思想が育つように援助すべきだと思います。
単なる物質的援助だけではなく、「真の国家建設のためには、正しい思想を基盤にしなくてはならない」という、「立正安国」の原理こそが、今こそ国際社会の中の日本に求められていると思います。
ぐうたらで、なんら行動の伴わない私めが、また偉そうなことを言ってしまいました。許して下さい。
真の「広宣流布」とは
それはともかく、日本さらには世界に一日も早く、正しい思想としての仏法が広まることが望まれます。
しかし、創価学会が目指しているような「広宣流布」「世界広布」が実現すれば、一挙にすばらしい世界になるのでしょうか。
創価学会ではかつてよく「国民の何割以上が入信したら広宣流布」というような議論をしていました。また、公明党が議席を伸ばし政権を取ることが広宣流布につながると単純に考えてきた時代がありました。
しかしこれはずいぶん乱暴な議論です。
そもそも「広宣流布」と言うからには、多くの国民が日蓮大聖人の教えを信じ、仏法を根本とした正義と幸福にあふれた国家が出現するというイメージがあります。
ところが、現実に創価学会・公明党が権謀術数(けんぼうじゅっすう)の限りを尽くして政権に参画(さんかく)したところで、多くの国民は、日蓮大聖人の教えを尊敬するどころか、むしろ反対に危機感、嫌悪(けんお)感をつのらせるばかりでした。たとえ、数の上で多くの人が入信しようとも、それだけで理想の国や世界が実現するわけではありません。私はそう断言します。
それには、根拠があります。
創価高校
私は、「広宣流布された世界」に身をおいたことがあるのです。
私は、地元の中学から創価高校に入学しました。
入学前は、これから入る学校に、大きな期待を持っていました。
なにしろ、創価学園は「池田先生が建てて下さった学校」であり、教師も生徒も学会員ばかりの、いわば「広宣流布された世界」です。
私は、これから何か厳粛(げんしゅく)な世界に入るような気がして、自発的に髪を切り、五分刈り(スポーツ刈りだったかもしれません)にしたのを覚えています。
当時は、現在とことなり男子校で、しかも私は寮に入ることになっていたので、いわば修道院のような生活を予想していたのかもしれません。
しかし、創価高校に入学後、私はなかなか校内の雰囲気になじめませんでした。
創価中学から進学してきた人たちと、私たち一般の中学から入った人たちの間の意識のギャップもあったと思いますが、誰かが何かを言うたびごとにみんなで「シーッ」あるいは「シラー」と言ってその発言を封じるような、白けたというか、退廃(たいはい)した雰囲気があったように感じました。
教える教師の方も、全てがすばらしい先生というわけではありませんでした。中には教え方がうまくなかったり、人格的に問題がありそうな先生もいて、生徒たちに完全にばかにされていました。
私の知っている限り、あからさまなイジメや校内暴力などはありませんでしたが、他の一般の高校で見られるような問題は一通りそろっていたように思います。
陰でタバコを吸う人もいましたし、寮では盗難事件などもありました。
今にして思えば、感受性の強い時期の生徒の集まりですから、いろんなことが起きて当然でした。
しかし、入学に際して抱いていた期待が大きかっただけに、私の場合、うまく適応するのに時間がかかりました。
私以外にも、創価高校になかなかなじめない人が、少なからずいたようです。
教師の方も、「創価教育」という何か何だかよく分からないものを実現するために、試行錯誤(しこうさくご)を重ねたり、気負いもあり、無理があったような気がします。
「創価教育」実現に訳の分からない情熱を燃やすタイプの教師たちは、教師の描く「理想」に外れた生徒に対しては、厳しく対応しました。
「タバコ」で、何人もの生徒が退学・休学処分となったり、教師による体罰も横行していたようです。
私は、正直なところ、かつて通った地元の中学校の方が、人間的に尊敬できる教師が多かったように感じていました。
さて、今は少し違うようですが、私たちの時は、学園生は「通学生」「下宿生」「寮生」に分かれていました。
通学生は近隣の都市部から通学してくる学生で、どちらかというとあかぬけておしゃれでした。
私は「寮生」でしたので、彼らが交わす通学時の出来事の会話、たとえば近くの女子校の生徒の噂(うわさ)とか、そういうものを、まぶしそうに脇で聞いていた記憶があります。
寮生は、地方の出身者が多く、「トレパンと室内着」というダサイ格好がよく似合う純朴(じゅんぼく)な人が多かったような気がします。
下宿生は、両者の中間といったところでしょうか。
私は、共学校に進まなかったことをなかば後悔しながら、寮の平凡な日常生活と勉強に明け暮れていました。
私は、元来の性格がいい加減で、ぐうたらなのですが、負けず嫌いで変にしつこいところがあります。こんな私が大学受験に成功できたのは、ひとえに寮という特殊な環境におかれたおかげだと感謝しています。
もちろん優れた教師のご指導もあり、私自身は学園の受験教育の恩恵を最大限に受けております。その面で、創価高校には感謝しています。
また、多くの得難い友人にも恵まれ、創価高校の思い出自体は大切にしていますし、誇りに思っています。
今でもときどき、同期生と会うことがありますが、みんな社会のさまざまの分野で活躍しており、学園生はやはり優秀な人が集まっていたんだな、と感じます。もっとも「創価教育」の成果があったかどうかは何とも言えません。
母校をことさらに悪く言うつもりはないのですが、入学前に思っていたような、ユートピアでもなかったということを言いたかっただけなのです。
すなわち、「数の上で広宣流布できたように見えても、それだけで理想の社会になるわけではない」ということです。
日蓮正宗の信徒あるいは創価学会員であっても、ただそれだけでその人の人格が優れていることにはなりません。
一人ひとりは、迷いの多い凡夫ですから、その凡夫の集まりと考えれば、一見広宣流布された社会がユートピアでないことは、少し考えれば分かることです。
本当の意味での「広宣流布」を目指すならば、当り前のことですが、一人ひとりが日蓮大聖人の教えを正しく信じ、仏法を根本とした慈悲あふれる人格を磨きあげなくてはなりません。
(つづく)
(おわび)
「宗教と倫理の間」(28)以降は宗門内の雑誌「妙教」にて連載されていたのですが、私の仕事上の都合(奄美大島の病院への転勤)もあり、忙しくなり、内容が身近なこまごましたものになってきました。それもその後、数回で中断されましたので、(29)以降の掲載は省略させていただきます。ご了承ください。