「宗教と倫理の間」の解説

友人の日蓮正宗僧侶が住職を務めるお寺の機関誌に連載されました。その後、途中から宗門内の雑誌「妙教」に転載されました。
ただし、連載のすべてが雑誌「妙教」に転載されたわけではなく、宗門に多少とも都合の悪い事実が書かれた回(たとえば、白山寺に取材に行った結果など)は転載されませんでした。宗門内の雑誌なので、やむを得ないこととは思いますが、少しがっかりしました。
でも、逆にその回をそのまま掲載してくれた、友人の僧侶の勇気に感謝しています。
なお、文章の著者名は、実際には実名で発表していましたが、今回は、諸般の事情を考慮して、ハンドルネーム(獅子風蓮)に置き換えました。ご了承ください。
この連載のメインテーマは、一創価学会員だった私が、どのような葛藤を経て、創価学会を脱会し、法華講員となったかということですが、これは「宗教と倫理の間」(1)(2)および(8)と(9)に書きました。時間のない人は、ここだけ読んでください。
じっさい、本論を外れることしぱしばで、おおくは「番外」「補遺」という変則的な形式で、連載を続けました。
というのも、創価学会がらみのさまざまな事件が起きたり、「本尊偽造」などという由々しき問題が起こるものですから、私の原稿も、あっちへ飛んだりこっちへ行ったりして、とりとめのないものになってしまったわけです。
書く側の私にも責任はあります。時に、前後のつながりを無視して好き勝手なことを書いてきた結果、このような統一のとれない形の連載になってしまいました。
ここで、かいつまんで、補足の意味で解説をしてみたいと思います。

1)

2)