宗教と倫理の間(11)補遺2

○○寺支部 獅子風蓮

小説「人間革命」の問題(つづき)

前回、本年になって連載が再開された「人間革命」に対して問題点を指摘しました。

「憂愁」の章で、石川幸男(戸田城聖の信頼が厚く、第二代会長の最有力候補と目されていた石田次男のこと)に関する記述のなかに、前後の文脈とは異質の不自然な部分が加えられているという点です。

第10巻までの「人間革命」の中で、特定の幹部の人格がこれほどまでに問題とされたことはありませんでした。おそらく、この問題の個所は、池田氏の石田氏に対する怨念が生んだものと思われます。

このように問題点を指摘して原稿を送ったわけですが、その後まもなく、聖教新聞の連載をチェックしていましたところ、今度は「藤川一正」なる人物に関する、悪意に満ちた表現を見つけました。

「藤川一正」とは、当時第七部隊長であったという記載や、戸田の関連会社「大洋精華」(「東洋精光」のこと)の営業部長をしていたことから考えて、藤原行正氏であることは間違いありません。

この小説では、大野英俊という幹部が交通事故で亡くなった事件に関して、仕事上の上司であった藤川の責任を追及し、死後すぐに駆け付けなかったことに対し、戸田は藤川を厳しく批判したというのです。

また、藤川が大野の通夜に姿を見せなかったことに対して、戸田は、

「なにッ!藤川は人間として許せん。先輩でありながら、無責任極まりない態度ではないか。今後、藤川のことは、いっさい信じるな!」と、顔を真っ赤にして激怒したというのです。

本当に戸田先生が藤原氏のことをこれほどまでに批判したのか、そこのところは証拠がないので分かりませんが、藤原氏が数年前から次男の範昭氏とともに池田批判に立ち上がったことを考えると、公平な記載とはとうてい思えません。

御記憶の方もおられるかと思いますが、「藤川一正」については、「人間革命」第九巻の「上げ潮」の章にも記述があります。少し長くなりますが、比較するとおもしろいので引用します。


宿舎は、河口湖畔のバンガロー風の簡易な旅館であった。戸田は、ここでも野外キャンプを期待していたらしく、宿舎が気に入らなかった。

「水滸会も惰弱になったな!」

戸田の叱声が、まず青年部の首脳に飛んだ。山本伸一は、その叱声を自分ひとりに受けて、戸田に詫び、喜びに燥いでいる青年たちへの余波を、喰いとめなければならなかった。湖畔でドッジボールなどを楽しんだ一同は、やがて広間に会して、戸田をかこみながら愉しい夕食がはじまった。食後は、そのまま自然に質問会のようになった。

「先生、故郷に錦を飾れ、とよくいわれますが、われわれの立場からは、どうとるべきでしょうか?」

数人の質問がつづいた後、突然、藤川一正の妙な質問がとび出した。彼はこの四月の選挙で、区会議員になったばかりのところで、若くして地域の名士になった気負いが、嬉しくもあり、重荷でもありといったふうで、それがこのような質問になったのである。

「人間の生き甲斐というものは、いろいろあるが、故郷を出て苦労し、立派な人となって再び故郷の土を踏む。あの洟たれ小僧が、あんなに立派な名士となったかと、故郷の人に思われるようになることは、たしかに男子たるものの、本懐の一つにはちがいない。しかし何が錦かということが問題です。君たちの人生の根本にかかわる問題だ。何が錦か、誰かわかるか!」

戸田は真摯な面持ちで、八十数名の青年たちに問いかけた。答えのための挙手はなかった。しばらく待ったが、みんな息をのんでいる。戸田は藤川を見まもって言った。

「藤川が区会議員になった。両親はさぞ喜んでいるだろう。故郷の人も、へえッ、とびっくりしているだろう。故郷に錦を飾る、と言えないことはないが、君たちの人生にとって、これが錦そのものだ、と思っては困る。ほんとうの錦は、そんなものではない。藤川の錦は、そんなものではないのだよ。

君たちは、社会的に成功し名士といわれるようになることが、錦を飾ることだと思ってはいないか。一流企業の社長になるとか、大学教授になるとか、大臣になるとか、一応は世間にとって錦かもしれない。しかし、そんな錦は、いつどうなるものかわからない。

藤川、君は区会議員だが、なによりも創価学会の名誉ある幹部じゃないか。これが錦でなくてなんだろう。戸田の弟子となって、広宣流布に挺身し、幹部として故郷の土を踏むことが、最高にして永遠の錦なのです。永遠の福運を顕現することこそ、最高の錦なのだよ。この錦こそ、色もあせぬ不変なものだ」

感動が青年たちの胸を貫いた。

一座はしんと静まりかえり、心の底でおのおのの信心を反省せざるをえなかった


この文章を読んで私は、藤川の「妙な」質問に対する批判というよりも、彼の質問をきっかけに、その場の青年たちにとって貴重な戸田の指導が引き出されたという印象を受けました。

このエピソードの翌日、相撲大会で五人抜きの勝者となった藤川ら3人に、戸田は、バンドにまいた金鎖から金時計をはずして与えたり、鎖についていた金メダルや残った鎖を賞品として与えたということです。

全体を通して読むと、戸田は藤川を含む青年たちを心から可愛がっていたことが分かります。

いっぽう、今回の「後継」の章では、同じエピソードが次のように紹介されています。


藤川は、区会議員でもあったが、昭和三十年の六月、河口湖畔で行った水滸会の野外訓練の折、議員になって間もない彼が、故郷に錦を飾るとはどういうことか、とたずねたことがあった。

戸田は、青年たちに、偉大なる政治家や大実業家にことを説いてはきたが、人生の至高の価値は、広宣流布の使命に生きること以外にないと訴えつづけていた。それだけに、藤川の質問は、ピントのずれた妙な質問といえた。

戸田は、瞬間的に藤川の心を察知した。区議会議員となった彼には、社会の栄誉や権力の威光が、よほど尊く、まばゆく思えたにちがいない。

戸田は、質問を聞くと、言下にこう答えた。

「戸田の弟子となって、広宣流布に挺身し、幹部として故郷の土を踏むことが、最高にして永遠の錦なのです」

彼は、藤川の心に兆した、名聞名利の心を砕いておきたかったのである。以来、戸田は、藤川の生き方を危惧してきた。根底の一念の微妙な狂いを感じたからである。


ここでは、藤川の質問に対して戸田は「言下に」、「戸田の弟子となって、広宣流布に挺身し、幹部として故郷の土を踏むことが、最高にして永遠の錦なのです」と答えたことになっています。しかし「上げ潮」の章では、そのまえに約1ページほどの言葉があり、それにつづいて、上記の発言があったことが分かります。けっして「言下」に、叱りつけるように指導したわけではないようです。

このように、同じエピソードを同じ「小説」の中で紹介しているのにもかかわらず、ひとりの人物に対する表現が、ずいぶん変化したことが分かります。

このようなことは、いくら執筆に時間が開いたからといって、まともな小説ではありえないことです。過去の著者(篠原善太郎氏)よりも現在の著者(誰?)は御都合主義的で、私は強い不信感を感じます。

池田氏に逆らったものは、小説のなかでさえも、反論の場も与えられずに一方的に批判されるのかと思うと、背筋が寒くなる思いです。

藤原行正氏について

もっとも、「藤川」こと藤原行正氏に関しては、別の面から問題があると思っています。

藤原氏は元東京都議で、もともとは池田氏の側近中の側近として、創価学会および公明党の中枢にいた人物です。

昭和44年に起きた藤原弘達氏の著書「創価学会を斬る」の出版妨害事件の時には、公明党幹部だった藤原行正氏自身が、この裏工作に関わりました。

公明党は東京都議会では与党ですので、藤原氏は党の都議団幹事長をつとめ、いわば首都における「公明党の顔」でした。本人も「都議会の天皇」と揶揄半分に呼ばれていたと、自著で述べています。

しかも党内では竹入、矢野といった委員長経験者に勝るとも劣らぬ実力者と言われていました。

しかし、「反池田」の言動を理由に昭和61年に公明党中央執行委員を解任され、昭和63年6月には同党の大橋敏雄代議士(当時)が「池田大作への宣戦布告」という手記を「文芸春秋」に発表すると同時に、公然と「池田打倒」を表明していました。

平成元年、藤原氏は「講談社」から「池田大作の素顔」を出版しました。

池田氏が第三代会長に就任する以前から、身近に見てきた池田氏および創価学会の「実像」がリアルに描かれていて、かなりの迫力がありました。

前回私は、最近の「人間革命」の信頼性に関連して、昭和32年大阪参院補選における選挙違反について、記載が事実か否か判断する材料を持ち合わせていないと書きました。

この件に関して、本書では、次のように述べられています


池田大作が検挙された事件は「大阪事件」と呼ばれる。実際はタバコの箱に現金を忍ばせ、各家へ配って歩くという悪質な選挙違反。その作戦を考え、最高責任者として指揮をとったのが池田大作である。ところが、いまや池田の逮捕日が学会では「法難の日」、迫害に耐えた美談とされ、大宗教家・池田大作の偉大さを物語るエピソードになっている。

--(中略)--

32年の逮捕当時、池田は29歳。この時点では後継者候補ナンバーワンは石田次男であったから、密かに三代会長の座を狙っていた池田参謀室長は実績づくりに功を焦っていた。もともとバレなければ何をやってもいいという発想の男である。つい度がすぎて、お縄になった。それが大阪事件の真相である。

ところが、大阪府警の取り調べ室で池田大作は怯えた。きびしい追及と侘しい留置生活に簡単にネを上げ、担当刑事に脅かされるままあっさり全面自供したのである。それが恥ずかしかったのだろう。ブタ箱から出てきた池田は一生懸命に青年部の幹部へだれかれとなく弁解して回っていた。その時、私にはこういった。

「ぼくが容疑事実を認めないと戸田先生を引っ張るぞ、と刑事がいうんだよ。そこでぼくは考えた。ここは全面自供の形をとって、外へ出て闘おうとな」

そんな考えもあるのか、と私は思ったものだ。その後、池田は五年後の無罪判決まで闘った。その闘いとは全部偽証で固め、身代わりの人間が池田の罪を被っただけのことである。

また、池田のいう「戸田先生を守るため」という弁解は真っ赤なウソ、自分の臆病さを隠すためのいい逃れにすぎなかった。


また、「池田大作」をめぐる家庭内の激しい葛藤もきわめてリアルに描かれています。長くなりますが、一部引用します。


行信や範昭の場合、池田大作は名付け親。より強い親愛感を抱く対象であった。

ところが、池田の実像に何度も接するうちに疑念を感じはじめた。自分は騙されているのではないか。まずその思いが芽生えた。

池田が学園にくるたびに、そばへ寄ってじっくり観察した。「全知全能」のはずの池田は生徒のそんな動きに気づきもせず、思い上がった言動を改めようとしなかった。ますます子供たちの疑いは増幅され、さまざまな自問自答が繰り返される。

やがて、行信の精神に植えつけられていた「池田神話」が少しずつ崩れだした。

池田自身の思い上がった言動が彼の正体をわからせてしまったのである。姉や弟も行信の見方に同調した。

「ママの感覚っておかしいよ」

母親の大きな愛情を疑ったことは一度もない彼らが、その母の信じる対象には首をかしげたのである。池田への批判を強めるわが子の姿。夫である私は家にいない。郁子の苦悩は深まった。

---(中略)--

57年秋、一度こういうことがあった。私も郁子も忘れられない記憶である。

その頃、思いつめた長男は母親の郁子を激しく攻撃しはじめていた。郁子は息子に問い詰められながら、なお池田崇拝をやめていなかった。その母を説得しようと宗教論争を挑んできたのである。郁子は熱心に息子の話に耳を傾ける。が、その難解さについていけなくなっていた。一度、長男から理詰めでやられて、彼女の頭が混乱したのだろう。仕方なく、わかるふりをしたのがいけなかった。

「そうね、……本当にそうね」

「その返事の仕方はなんだよ!ママは全然わかっていないじゃないか」

話の噛みあわない苛立ちが長男の興奮を呼んだ。感情が高ぶる。母を問い詰め、わめき、怒る。池田大作の非を論じ、息子は必死の形相でバイブルまで持ち出した。その息子の頬をとめどもなく涙が流れる。

「オレがここまでいっても、ママには池田の悪さがわからないのか!」

ついに自分を失って、長男は母親を足蹴にした。抑えに抑えてきた無念さが一気に吹き出したような暴力だった。

「ごめんね、ごめんね、ママは頭が悪いから、あなたの話すことがよくわからないの。もう一度教えて、お兄ちゃん……」

地獄だった。信仰を熱心に求める母と子があり、その信仰の頂上に聳える池田大作という男がいる。母は息子を愛し、息子は母を信じていた。しかし、池田大作をめぐっては真っ向から意見が分かれたのだ。


「あとがき」に藤原氏が、「また、この本でプライベートな部分である私の家族の歴史をあえて明かしたのは、それが長く学会大幹部の立場にあった者の果たすべきつとめと信じるためである」と述べているように、できればかくしておきたいと思われる家族の葛藤の場面をさらけ出した部分は、私に強い印象を与えました。特に、「池田憎し」の感情が昂じて長男の神経が病んでしまう場面には、親としての悲しみ・悔恨といったものが伝わってきました。

実は、現在私の母も兄弟も創価学会にとどまっており、法華講に移籍したのは自分と自分の家族のみなのです。

母には、会うたびに創価学会の非を訴え、脱会を勧めてはいるのですが、熱心な「池田教」信者の母は聞く耳を持たず、いいかげんな聖教新聞の記事を鵜呑みにして、こちらに脱講を迫るありさまです。

全国的にも、「池田創価学会」を取るかとらないかで、家族内の葛藤が数限りなく繰り広げられていることでしょう。

そのようなことがあるので、藤原家の母子の間の葛藤が他人事に思えなかったのかもしれません。

それはともかく、藤原氏とその一族は、「反池田」の有力な旗頭であったわけです。

その「藤原軍団」がなぜその目的を達成できなかったか。また、なぜ私が藤原氏に問題があると思うかについては、紙面がつきましたので次回に譲りたいと思います。