マイヒーローズ

私が尊敬する人物、私が影響を受けた人物を紹介します。

牧口常三郎

(まきぐち つねさぶろう)

創価教育学会設立(創価学会初代会長)。教育者。
牧口先生は、明治4年日本海に面した寒村に生まれた。
貧しい生活の中から努力して教育者となった先生は、身内の不幸を経験し、昭和3年に日蓮正宗に入信した。 

牧口先生は戦時中、日蓮正宗の信仰の立場を忠実に守り、伊勢神宮のお札である神宮大麻の受け取りを拒否し、焼却させた。 牧口先生は、弟子の戸田先生らとともに不敬罪と治安維持法違反で検挙され、投獄された。 

牧口先生は、 特高警察による尋問に対して、「天皇も凡夫である」と答え、自らの主張を変えず転向しなかった。そのため釈放されず、最後は73歳で獄死している。
牧口先生は偉大な勇気と信念の人であった。 

しかし、創価学会が今日称賛するような勇ましい戦争反対論者ではなかった。
「日蓮を重んじなければ戦争に負ける」と主張していたのである。
日蓮の「立正安国論」から考えれば、たしかにそういうことになるのだろうが、現在の私や創価学会上層部の意見とはそぐわないものだ。
そういう限界を認めつつ、牧口先生は、その厳格な精神ゆえに、私たちの敬愛する対象であり続ける。
希望コミックス「牧口先生」で牧口先生の前半生を知ることができる。
最近では、kindle でも読める。
なお、牧口先生の「価値論」は功利主義ととらえられることが多く、あまり正当な評価を受けていないが、私は評価している。むしろ「価値論」を安易に折伏に利用したことがまずかったのではないかと思う。

牧口先生の「価値論」 については、いつか論じてみたい。

戸田 城聖

(とだ じょうせい)

戸田先生も苦学して教育者となり、牧口先生が校長をしていた小学校で働いた。
それがきっかけとなり牧口先生に私淑し、牧口先生が日蓮正宗に入信する時に、一緒に入信した。
入獄までお供した。
獄中、牧口先生の健康を気遣いながらも転向せず出獄。やがて終戦を迎える。
創価学会2代会長となった後は、現世利益の実現を強く訴えて、折伏を進めた。
戸田先生は庶民的で、ざっくばらんな性格だった。
酒が好きで、講演をするときには、演台には水ではなく酒を用意させたていたという。
御本尊を「幸福製造機」だという、そのあっけらかんとした指導は、むしろさわやかなほどだ。愛すべき好人物であるのは確かだ。
ただ、私は、戸田先生の思想をどう評価するべきか、現時点では判断を保留せざるをえない。
古い版の『人間革命』をまた読み返して、じっくり考えてみたい。
当時のイメージをとらえるには、コミックの「劇画・人間革命」がいい。
丹波哲郎が主演を演じた映画「人間革命」もまた観てみたいな。
でもアマゾンでみたら、DVD高いな。

池田大作

創価学会名誉会長。創価学園・創価大学創立者。著書、多数。
創価学会批判の激しかった時には、あることないこと叩かれて、世間的な印象は悪い。
学園生の時に感じていた池田先生の暖かさと世間の評価とのあまりのギャップにとまどい、さまざまな情報を集めたことが、私の批判活動の原動力だったのかもしれない。
池田先生には、著書や論文を自分で書いていない疑いがある(詳しくはマイアーカイブの「宗教と倫理の間」で論じた)ところや、へんに見栄をはるところ、人心掌握術に長けているはずなのになぜか側近の離反者が多いところ、謀略的なところなど、難点も多く見られるが、それを含めて魅力を感じてしまうのが不思議なところ。
最近になって、佐藤優氏や田原総一朗氏などから、池田先生の視野の広さと先見性が評価されてきているのを見ると、私のような立場の人間からしても、なんだかうれしい。
池田先生は、ざっくばらんで、初対面の人でもその人柄にひきつけられるという。
でも、敵対者に対しては、手段を選ばずに徹底的につぶしにかかるところがある。
特に、平成3年ころから始まった、執拗な宗門攻撃、日顕上人猊下に対するあくどい(捏造された)スキャンダル攻撃には、うんざりした(詳細はマイアーカイブの「宗教と倫理の間」で論じた)。私は、そのような醜い創価学会に身を置いておくのが恥ずかしくなり、平成3年に夫婦で創価学会を脱会した。
池田先生としては、かわいい会員を宗門の権威から守るために、手段を選ばなかったということなのかもしれないが、そのやり方に私のように反発する人間も少なくなったのではなかろうか。

徳田虎雄

(とくだ とらお)
前医療法人徳洲会理事長。
しばらく前より筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、現在療養中。

私は、東大小児科の医局に在籍していたとき徳洲会の病院に派遣されたこともあり、1994年9月より奄美大島の名瀬病院の院長を務めたことがある。
近くで徳田先生に接することがあり、その強い個性に圧倒された。
先生の地域医療に対する熱意を感じ、私も離島の医療に少しでも貢献できればとの思いで働いていた。
しかし選挙のあと、病院の職員が何人か姿を消す状況に納得が行かず、院長会議の席で徳洲会の強引な選挙運動のあり方に疑問をぶつけたことがあったが、めちゃくちゃ大量の言葉の弾丸を浴びせられ沈黙させられたことがあった。批判を謙虚に聞くタイプではなかったようだ。
その後いろいろあって、私は徳洲会の病院を辞めて、今は開業しているが、徳洲会の選挙違反で徳田先生の親族が逮捕されるという報道などに接すると、徳田先生に、もっと私のような下々の意見を聞いてくれる余裕があれば良かったのにと思う。
でも、徳田先生の、病気で苦しむ人、へき地で病院にかかれない人、社会的な弱者に対する強い愛情と実行力は、今でも尊敬しています。
徳田虎雄の実像は、青木理『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』(小学館、2011年)に詳しい。

菱俊雄(故人)

東大小児科に入局したときの医局長。
公私にわたり大変お世話になりました。
子どもや弱者に対する愛情は誰よりも強く、彼らを救うためには知力、体力、人間力を振り絞ってどこまでも闘う先生でした。
先生にはいろんなことを教わりました。

イエス・キリスト

僕とキリストとの出会いは遠藤周作の小説からでした。
『沈黙』『死海のほとり』……など片っ端から読みました。
一人の無力な人間として、キリストがどのようなことを考え、人を愛し、人に裏切られ、最後に十字架に上ったのかと考えると、彼のことが、気になってしょうがありません。
新約聖書も読みました。
石を投げつけられる娼婦のそばにうずくまり「あなたがたの中で誰も罪を犯したことのない者が石を投げなさい」と言った箇所があります。私の好きな箇所です。

ブッダ

創価学会の教える仏教に限界を感じた時、私は、原始仏教に遡って勉強してみようと思った。
まず最初に、潮出版社から出ていた手塚治虫の『ブッダ』から読んだ。
コミックなので物語的には面白くて頭によく入るのはいいのだが、学問的に正確といえないところも含まれているようだ。
それでも、歴史上の人物としてのブッダがよく描かれている。
学問的な本もその後何冊か読んだが、頭の中にあるブッダのイメージは、手塚治虫の描いた、このブッダだ。
子どもを亡くした母親キサーゴータミーの話など、現代の心理学にも通じるような知恵が、初期の釈迦仏教にはたくさん詰まっている。
このような知恵をもっと現代の生活に生かしていきたいと思う。
それにしても、学会系の出版社である潮出版社がよく『ブッダ』を出版したものだ。
そのほかにも、潮出版社の雑誌である「希望の友」「コミックトム」などには、『ブッダ』をはじめとして、横山光輝の『水滸伝』『三国志』や、みなもと太郎の『風雲児たち』などレベルの高い良質のコミックが沢山連載されていた。
今思うと、奇跡のようだ。
あのころの創価学会は自信にあふれていたのだと思う。懐かしい。

日蓮(日蓮大聖人)

大学生のころ「絶対的信仰」に疑いを持った私は、遠藤周作が人間としてのイエスを描いてみせたように、人間としての日蓮を探し求めて本を読み漁った時期がある。
『仏教の思想』(下)第4章で梅原猛は「日蓮の人生と思想」を公平に論じている。「まことに彼は、まれにみる純潔な人であった。この純潔な人は、男性的勇気と女性的慈悲という、二つの互いに相矛盾する徳を、同時にそなえていた。……日本人ばなれの情熱と、すべてのものに、やさしい涙をそそぐ、日本的心情を同時に持っていたのだ」と。
また、キリスト教徒の内村鑑三の『代表的日本人』に書かれた日蓮も人間的で魅力的だ。
ただ、時代的な制約として本来のブッダの教えが伝わってなかったあの時代に、天台智顗の作った五時八教という理論の上に日蓮の宗教は作られたのだから、現代の宗教学の成果から見ると、おかしなところも少なくない。でも、鎌倉時代の知識でとことん突き詰めて求めていった最高の仏法が、日蓮の求めた法華経だったのだ。
理性的な現代人としての私は、その過ちも含めて一人の人間としての日蓮を愛するが、日蓮正宗の信徒としての私は、日蓮大聖人のことを救済者として信仰する。
私の死後は、日蓮大聖人が迎えてくれることを信じて、霊山浄土へ旅立ちたいと思う。

親鸞

私と親鸞との出会いは、梅原猛の『仏教の思想』(下)だった。第2章「親鸞と『教行信証』」で、親鸞が、自分の中のどろどろとした欲望に正面から向き合った宗教家だったと知った。
「悪性さらにやめがたし/こころは蛇歇のごとくなり/……」
私は、自分自身の中にも親鸞が言うような「蛇歇」が住んでいることを自覚していたので、親鸞のこのような真摯な姿勢に共感した。
その後、『歎異抄』なども読み進み、その思想(浄土真宗)がプロテスタンティズムに似て近代的知性に好まれることも知る。
でも、私としては「南無阿弥陀仏」と唱えるよりも、「南無妙法蓮華経」と唱える方が、生命力が湧いてきそうでいいな、というのが本音のところだ。

B.R.アンベードカルと佐々井秀嶺

仏教が滅んだと言われるインドに現在、約1億人の仏教徒がいることを知っていますか?その最初のきっかけを作ったのが、アンベードカルである。
インド独立の前、アンベードカルは、不可触民の子として生れ、不治の病のように忌み嫌われた少年時代を送り、勉学に励み、やがて世界的最高学府で学位を取る。生涯を通じ、政治・法曹・社会など広範囲にわたって不可触民の地位向上に尽力した。晩年、ヒンズー教の枠内での不可触民の解放に絶望し、1956年、約50万人の不可触民の人たちと仏教へ改宗する。その直後、なんと彼は、病に倒れ、65歳の生涯を閉じた。
新しく誕生したばかりの仏教徒は唯一の教師を失い、途方にくれた。
しかし、偶然にも、一人の日本人僧がその場に飄然と現れ、人々とともに仏教復興の大事業を再開し始めた。それが佐々井秀嶺である。在印50年、ただひたすらアンベードカルの遺志を継いで仏教再興に身命を捧げてきた佐々井秀嶺は、今や1億を超すといわれるインド仏教徒の最高指導者としてその最先端にいる。
もともと佐々井秀嶺は、真言宗薬王院にて得度した。その後、タイ留学を経てインドに渡ったとき、日本山妙法寺の世話になり南無妙法蓮華経の題目にも親しんだ。
そのため、現在のインドには、仏教修行の一つとして南無妙法蓮華経を唱える仏教徒が約1億人いるという。なんだか、痛快な話だと思いませんか?

植木雅俊

旧七帝大の同窓会のような組織の会報(学士会会報)が定期的に自宅に送られてくる。
2015年ころ何気なく会報を読んでいたら、植木雅俊という人の「思想としての法華経」という文章が載っていた。これが植木先生との出会いだった。
九州大学で物理学を専攻され、その後仏教の研究に入るという異色の経歴の持ち主だ。
植木先生は中村元博士の弟子筋にあたる方で、大乗仏典の「非仏説」については、中村博士の言葉を引用し、「思想そのものを問題とする場合には、真作か偽作かは大して問題とならない」と主張している。そして、法華経には単に信仰という次元だけではなく、思想としても重要なメッセージが込められているという。大いに勉強になった。
その後、NHKの「100分de名著」という番組で「法華経」が取り上げられ、講師を植木先生が務めると知り、2018年4月、視聴した。たいへん分かりやすく、内容的にも濃い番組だった。
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2022年2月にNHK -Eテレ『100分de名著』で植木先生の著書『日蓮の手紙』を放送とのこと。楽しみです。
(2021.12.01追記)

佐々木閑

植木先生の「法華経」を見るためにNHKの「100分de名著」という番組を知った。
ネットでこの番組のバックナンバーをいくつか観たが、なかなか興味深いものがあった。
とりわけ佐々木先生のブッダ「真理のことば」は勉強になった。その後、著書も何冊か購入して勉強した。
『本当の仏教を学ぶ一日講座 __ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか』
『大乗仏教 __ブッダの教えはどこへ向かうのか』
『犀の角たち』など。
佐々木先生は京都大学工学部から文学部に移り、仏教学を専攻された方で、理系の頭を持った先生だ。その点は植木先生と共通している。私たちのような理系の人間は、論理的かつ理性的に考えることを好むので、ブッダの初期仏教が合うのだと思う。私は、すっかり佐々木先生の本に引き込まれた。
私も、ブッダの教えのもとで犀の角のように歩んでゆきたい。

A・スマナサーラ

2006年ころスマナサーラさんの『自分を変える気づきの瞑想法 』という本に出会った。ここには、これまで知らなかった「ヴィパッサナー瞑想法」というのが書かれていて、これがブッダから上座部仏教(テーラワーダ仏教)に受け継がれた正統的な修行法だという。
実際に試してみると、確かに良さそうだ。これまで、創価学会や日蓮正宗のみならず、日本の仏教は、自分たちは大乗仏教であると誇り、どこかで上座部仏教を「小乗仏教」と見下していたところがあるが、お門違いだったのではないか、と思うようになった。
その後、日本の禅宗の僧侶の書いた『アップデートする仏教』という本も話題になった。
私の信仰する宗教(日蓮仏教)も、狭い枠にはまらずにアップデートしないといけないのではないか。そのために、瞑想や坐禅のことも勉強し、実践をしていかなければという思いに至る。

ダライ・ラマ14世

チベット仏教については、生まれ変わりの子どもを見つけてきて法王として育てるとか、非科学的なイメージしかもっていなかったが、池上彰の『池上彰と考える、仏教って何ですか?』を読んで少し見直した。
ダライ・ラマ法王はチベット仏教の第一人者でありがなら、必ずしも仏教への信仰心にはこだわらないという。キリスト教徒ともイスラム教徒ともユダヤ教徒とも積極的に対話をして、人類にとっての普遍的な思想を編み出そうとしている。そして、仏教が発展させてきた心理学を、生きるための一般教養として役立てようというのがダライ・ラマ法王の提案だという。天国や来世といった救いではなく、心安らかに生きていくために心を制御する技術を、仏教から取り入れていこうというのだ。それは信仰心がなくても可能なことだ。
これは、私が考える初期仏教の修行の実践と近いものがある。
それにしても、中国共産党のチベット仏教への弾圧には、ひどいものがある。
きっぱりと、抗議の声をあげたい。

妹尾義郎

小林よしのり

漫画家、評論家。著書多数。
初期の『ゴーマニズム宣言』から主要な著書は読んでいる。
私とほとんど同世代の著者が、薬害エイズ、オウム、戦争論などさまざまなテーマに取り組み、思想的に成長する姿を、リアルに感じながら、その著書を読み続けてきた。
私は、政治的には小林よしのりの考えに近いと思う。
彼は、最近では、真の保守主義=「公民主義」を唱えている。
「公民党」ができたら応援したいと思う(笑)。
また、小林よしのり氏には、有効な情報発信のためにはエンタメ性が欠かせないということを教えられた。
私も、ホームページ作成にあたり、読んで楽しいものを作りたいと思う。

苫米地英人

ごめんなさい。私はこの人を、「自己啓発セミナーとかやっている、胡散臭くてインチキ臭いおっさん」くらいに思っていましたが、誤解でした。
Kindle unlimited で『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』を読んでから、苫米地英人氏の考えが、初期仏教の修行法に近いと知る。
実際『お釈迦さまの脳科学-釈迦の教えを先端脳科学者はどう解くか?』という著書もあるし、天台宗の僧籍も持っているそうだ。
中村うさぎさんも言っている。
「(苫米地英人の)面白さを知らずに終わってしまうことになり、非常にもったいないと思う。結構、いいこと言うんだよ、苫米地は」と。
また、苫米地氏は「脱洗脳」のプロだから、その点でも学ぶところは多いかもしれない。
(最近、シニフィエさんのブログで知ったのですが、こんな興味深い動画がありました。
https://youtu.be/t4i1vKH1c8M
現代の日本の社会にある「スピリチャリズム」の怪しさを指摘しています。2020.12.30)

島田裕巳

宗教学者。オウム真理教を擁護したことがあり、そのことで世間から批判を受けたが、しばらくしてから、また宗教についての活発な発言をはじめる。著書多数。
創価学会に対しても的確な評価(いい面も問題点も含めて)をしている。
最近では『親が創価学会 』(2019年、イースト新書)を上梓。興味深い。
また、ユーチューバー・えらいてんちょう氏の動画にたびたび出演し、さまざまな新宗教の現状を分かりやすく解説してくれる(リンクにあげておきました)。

えらいてんちょう

ユーチューバー。
ユーチューバーっていうとヒカキンみたいな人ばかりかと思ったら、この人みたいにかたいテーマに取り組んでいる人もいるんだな。いろいろ発信しているが、宗教についても、わけへだてなくいろいろな新宗教に言及している。
「入ってはいけない宗教5選」 に顕正会が堂々ランクイン。われらが創価学会は入っていない。よかった。
「実録顕正会」 では危険を顧みず、顕正会の無差別折伏の場に潜入し、ジャーナリスト精神を発揮している。
リンクした動画を次々と観ていくと、最後には、取材を受けた顕正会員が「信者であることが職場にバレルと困る」というなさけない理由で「プライバシー侵害である」と、裁判所に動画削除の仮執行を訴えていた。その最初から最後までが、包み隠さずアップされていて、興味深い。
プライバシー侵害と訴えるくらいなら、路上で知らない人に声をかけ、無差別に強引な折伏に持ち込むようなことはするな、と私も思う。
(知らない人に無差別に折伏するのはいいが、職場の人間関係は壊したくないからプライバシーは法律で守ってほしいっていうところが情けない)
えらいてんちょう氏には頑張ってほしいが、そうとう消耗している姿に同情する。
結論としては、顕正会はヤバいから入ってはいけない。
顕正会に関わると消耗する、というところか。

有名人な創価学会員

  •  尾崎豊:彼の歌と生き方には大きく魅かれる。彼の死因は他殺だったのか? 気になる。彼の父親・健一さんの手記、『尾崎豊 少年時代』(角川文庫)によると、彼は創価学会の家庭に育ち、ある時期までは正宗の信仰を持っていた。彼も学会二世の悩みを抱えていたのだろうか。彼が生きていたら、そんな話も聞けたかもしれないと思う。早すぎる死が残念でしかたがない。


その他