宗教と倫理の間(13)番外8

○○寺支部 獅子風蓮

墓地をめぐる論争

前回予告しました通り、今回は福島県の白山寺に取材に行った報告をしたいと思います。白山寺といえば、日顕上人猊下の親戚の墓地があり、そこに平成元年猊下が先祖の墓を「自ら建立」したとして、創価学会があたかも鬼の首を取ったかのように口汚く批判していた問題の寺です。

学会側は、いかがわしい宗教誌「中外日報」(平成3年9月27日付)の記事を引用して、次のように述べました(地湧からの通信(8))。

 

平成元年7月17日、日顕上人は福島市内にある曹洞宗の白山寺を訪れた。目的は阿部家先祖代々の墓へ参るためであった。

日顕上人は、この墓参に先立ち費用五百五十万円の一切を負担し、新しい墓石をもって墓を新調した。新しい墓は、墓石の中央に「南無妙法蓮華経」と日顕上人の自筆が刻み込まれている。墓の裏側には「平成元年七月十七日 為先祖代々菩提 建立之 日顕 花押」と刻まれている。

これに対し宗門側は、時局協議会文書作成斑有志の名前で「大白法」(平成3年10月16日付)に反論を掲載しました(「時局文書(1)」と略す)。それに対する学会側の反論も出ましたが(地湧からの通信(9))、それに対してさらに時局協議会文書作成斑有志の反論が「大白法」(11月1日付、「時局文書(2)」と略す)に載りました。

まず確認しておきたいことは、日顕上人が費用を負担された墓石は、現在白山寺の管理下にある墓地に建立されましたが、この墓はあくまでも福島・阿部本家のものであるということです。

それを踏まえたうえで「他宗門の寺の所有地である墓地に、時の法主であり管長である者が、わざわざ新しい墓を建てる必要があったか」という疑問は当然あるでしょうが、私はその疑問に答えることはできないし、その立場でもありません。ただ、この問題が表面化したとき、「ちゃんと正宗の形式に則った墓を建てたんだから、学会はそんなにうるさいことを言わなくてもいいじゃないか」という印象を持ちました。

確かに、阿部本家や宗門側の対応にいささか不用意な部分がなかったとは言えないと思いますが、「時局文書(2)」においてすでに親族代表が「お詫びとお誓い」を発表していることでもあり、あまり大げさに非難すべきものでもないように思うのです。

結局この「墓地問題」それ自体は、私にはあまり本質的な問題ではないように思われました。創価学会が、宗門攻撃の口実としてこの問題を大いに利用しているというのが本当の所ではないでしょうか。

ただ、一連の議論の応酬のなかで、いくつか事実関係をめぐる争点が浮かび上がってきました。そのそれぞれについて、どちらの言うことが正しく、どちらがウソをついているかということのほうが、現時点の私にとって関心があるのです。

そこで、事実関係で真っ向から対立する部分のみにしぼって、宗門側と学会側の主張を整理してみました。


「共同墓地」か否かについて

「時局文書(2)」には、複雑な歴史的経過をたどって「共同墓地」が、どういうわけかいつのまにか白山寺の管理下に置かれるようになったことが詳しく書かれている。阿部本家の墓がある「昭和24年に拡張造成された」「第二区画」は、帳簿上現在白山寺の所有管轄となっているが、村人にとっては「共同墓地の拡張部分」という意識であったという。そして「単に墓地の表記が共同墓地であるかないか、或は寺院の所有であるかないかということよりも、実際の墓地の性格が寺院墓地なのか、共同墓地なのか、ということが大切な判断の基準でなければなりません」と主張している。

一方学会側によれば、この墓地は「共同墓地」ではなく、最初から全て白山寺のものだったという。阿部本家に関しても、「昔から檀家であったから、ここに墓がある」のだとしている。


「区画」の有無について

「時局文書(1)」には、次のように書かれている。

現在ここは、白山寺という曹洞宗の寺院が管理をしているが、実際には、この墓地は三つに区分けされているのである。

第一区画は明治時代からの村の共同墓地であり、第二区画は後に拡張されたところであり、第三区画は白山寺檀家専用の墓地である。

しかし、学会は白山寺の墓地に「区画」などないといっている

それに対し「時局文書(2)」ではは「その成立、性格等において厳然と区別が存する」と反論している。


「塀」の有無について

「時局文書(1)」には、次のように書かれている。


現在、白山寺は、第三区画の檀家専用墓地については檀家にならなければ一切分譲していないが、第一・第二区画の墓地は墓石や塔婆等、宗派を問わず自由にさせているのであり、共同墓地が狭くなったから拡張した、というのがこの墓地に対しての地元の人達の認識である。

その証拠とも言えることは、白山寺の境内地域と、第一・第二区画の共同墓地との間は塀で仕切られており、第一・第二区画の墓地は寺院に関係なく、道路から自由に出入りができるのである。


これに対し、学会側は、次のように反論している(地湧からの通信)。


「時局文書」のペテン性をいかんなく発揮しているのが、この「塀」の記述である。

この「時局文書」の文は、「白山寺の境内地域」と「第一・第二区画の共同墓地」とをへだてるものとして「塀」の存在を強調している。

「時局文書」の文脈からすれば、「第三区画の檀家専用墓地」は、「第一・第二区画」とは別扱いになっていると、この文を読む人は思うだろう。そして「第三区画の檀家専用墓地」は、道路から自由に出入り」できないと判断する。

おそらくは「第三区画」は、「塀」に囲まれた「境内地域」の中にでもあるのではないかと思うだろう。なぜなら、共同墓地の「第一区画」と「第二区画」のみが「道路から自由に出入りできる」と、わざわざ特記されているからだ。

だが事実は、「第三区画」という区分けもないし、道路から自由に出入りできない墓地もない。もちろん、「第一区画」「第二区画」の二つと、「第三区画」を区切るものなどない。それは、現地に行けば一目瞭然である。念を押せば、最後に拡張した部分が道路に接しており、日顕の建立した墓は、その奥の、本堂により近い場所にある。

塀についていえば、たしかに本堂や庫裏を囲んでの塀はあるが、それは墓地を間仕切るような塀ではない。本堂や庫裏を囲んだ塀の外に一つの墓地があるのだ。

 

学会側はこのように、「時局文書」は「読む人の錯誤を目的に書かれ」た「デタラメ」と批判している。


墓の位置について

学会側は「阿部家の墓は旧来の檀家として、一番古い拡張前の場所にあると、白山寺では言っている。現地を確認すれば、周囲の墓の相当な古さからして、その説明はうなずける。問題になっている日顕建立の墓石は、本堂のすぐ後ろに位置する」(地湧からの通信(9))といっている。

一方、「時局文書(2)」の写真を見ると、問題の墓は「本堂のすぐ後ろ」にはない。

百聞は一見に如かず

さて、「共同墓地」か否かの問題については、宗門と学会の主張は真っ向から対立しています。しかし、「古老」や周囲の住民が、問題の墓地がどういう性格のものと認識しているかを、実際に私が個人的に聞き取り調査するわけにもいかず、ちょっと確かめようがないかと思われます。

それに対して他の三点の主張の相違点は、現地を見ればどちらがウソを言っているか判然とするはずです。
何事も自分の目で確かめなければ納得できない性格の私は、すぐにでも現地を見に行きたいと思っていました。しかし、病院の仕事が忙しく、なかなか実現できないでいました。

「地湧からの通信(9)」には、

「『共同墓地』でないこと、『区画』のないこと、『塀』などないことは、白山寺(福島県福島市荒井字寺屋敷)に行けば、すぐにわかる」とか、

「日蓮正宗時局協議会と、わが日蓮正宗自由通信同盟と、どちらが真実を書いているか、ぜひ、現地を訪れ確認していただきたい」などと、挑発するような言葉が書かれています。

これほど自信満々に言うからには、学会の言っていることは、ひょっとすると事実なのではなかろうか。いや、怪文書「地湧」の言うことだから、あてになるものか。しかし万が一「地湧」が正しく、宗門がウソをついていたとしたら、これから私は何を信じて生きていけばよいのだろうか。そんな気持ちを胸にしまいこみながら、私はひそかに白山寺に取材しに行くチャンスを待っていました。

このたび、たまたま近くに行く用事があったので、(平成4年)9月12日、足を少しのばして、白山寺の脇の問題の墓地を見に行ってきました。「百聞は一見に如かず」といいますが、本当にそうだとしみじみ思いました。

紙面がつきましたので、続きは次号で報告したいと思います。

(つづく)