宗教と倫理の間(16)番外11

○○寺支部 獅子風蓮

クロウ事件(つづき)

前回は、いわゆる「クロウ事件」について、学会の謀略性を検証してみました。

今回はその続きです。

「白山寺」の問題で怪文書「地湧」をひっくり返して研究をしているうちに、思いがけない副産物を見つけました。それは、学会で言う「シアトル事件」の謀略と関係のあることです。

『地湧からの通信9』の97ページ(「地湧」第284号、1991.10.11)には、<数々の大謗法を犯した日顕上人に「上人」の尊称はつけない〉という見出しの後に、次のような記述が見られました。

本日より、本紙は日顕に「上人」の尊称を付けないことにした。その理由は、法主の立場にありながら日蓮大聖人の仏法に背き、数々の大謗法を犯した罪による。本来ならば俗名・阿部信夫(あべのぶお)と呼ぶのが妥当だと思われるが、読者の方々への便宜上、「日顕」と呼称する。

この部分のライターは「本紙編集長・不破優」となっていますが、彼は日顕上人の俗名-正しくは阿部信雄(あべしんのう)です-を誤って記憶していたことが分かります。

さて、「クロウ事件」に関する学会側の当初の主張では、警察に報告された名前は「ノブオ・アベ」となっていたということです。

しかし、「時局文書」では、「当時の御法主上人猊下の戸籍上の名前は『シンノウ・アベ』であり」と指摘されました。

これに対し学会側は、クロウ婦人がお名前の正しい読み方を知らなかったから、警察の書面に「ノブオ・アベ」と間違った名前を記入した、といっています。

しかし、「大白法号外」で高橋師が指摘しているように、警察が、赤の他人のクロウ婦人の言葉にのみ従って、外国人である当事者の身元を特定せず、また名前を正しく把握する作業を怠って、間違った名前を、そのまま代筆させるなどということはとうてい考えられないことです。

「地湧」編集長とクロウ婦人が、奇しくも、日顕上人の戸籍上のお名前を「ノブオ」と同じく誤って記憶していたことになります。偶然といってしまえばそれまでですが、学会中枢部の謀略部隊が、一方で「地湧」の編集を手がけ、他方で「クロウ事件」のシナリオを書いたという推測も、成り立つのではないでしょうか。

「シアトル事件」の謀略性は、「大白法号外」で十分に立証され尽くしていると思いますので、蛇足になるとは思いますが、ちょっとした発見と思いましたので付け加えさせていただきました。

このように総合的に検証してみると、「クロウ事件」の核心部分については、学会の謀略のシナリオが存在していたことは疑いありません。

しかし、周辺の細かい部分に関しては、宗門側が十分に反論しきっていない点があるようです。

昭和38年の初の海外出張御授戒にまつわる学会側の一連の主張のうち、「ハワイでの御本尊置き忘れ事件」あるいは「スチュワーデスとのエピソード」に関しては、ひょっとすると、その全てがでたらめとは言えないかもしれません。

前者については、平成四年八月五日の聖教新聞にウィリアムス・アメリカSGI前理事長が「質問書」(上)において、また8月26日の聖教新聞に、J.T.ライフ氏およびワタル・カワモト氏がリアルな証言を行なっており、その全てが作り話とは思いにくいと感じました。

後者については、8月6日の聖教新聞で、ウィリアムス前理事長が「質問書」(下)のなかで詳細に述べています。

いずれにせよ少なからず脚色が施されてはいるでしょうが、緊張を強いられ疲労も重なった初の海外出張御授戒ですから、ついうっかり御本尊さまを置き忘れ申し上げることも、もしかしたらあったかもしれません。また、飛行機の中でスチュワーデスに「坊主頭を撫で」られるようなほほえましいエピソードも実際にあったかもしれません。

一介の信徒が全くの想像でこのようなことを言ってはいけないことは承知しています。しかし私の言いたいことは、たとえ百歩譲ってそのようなことが実際にあったとしても、そのできごと自体は、大したことないというと語弊があるかもしれませんが、さも鬼の首を取ったかのように非難するほどの悪事だったかということなのです。

ウィリアムス前理事長は日顕上人猊下に対する「質問書」(下)の中で、「御本尊置き忘れ事件」について次のように述べています。

「(4) 給油をしていると、食事を終えたあなたの車がたまたまそばを通りかかったため、慌てて後を追いかけてやっと追いつき、あなたに御本尊を渡すことができたのです。私は、あなたを案内するため、あなたの車に同乗しておりましたので、このときの様子は鮮明に記憶しております。あなたは『ああ、申し訳ないことを』と絶句し、御本尊を忘れてきたことに初めて気がつき、驚いておりました」

「御本尊置き忘れ事件」が実際にあったかどうかは不明ですが、かりにあったとしても、このように猊下ご自身が「申し訳ない」という言葉をもって反省なさったものを、今になってほじくりかえす必要がどうしてあるのでしょうか。

大したことでもないのに、後になって大げさに脚色してスキャンダルに仕立てあげるのが、学会のよくやる方法です。

平成4年9月16日の創価新報は「1983年1月26日、リオでは大乱痴気パーティー」なる写真入り記事を載せました。その記事には、「このリオの狂乱の宴(うたげ)は、さしずめ息子の阿部信影あたりが、父親の趣味を満足させようと練ったものであろう」とあります。

ところが、平成4年10月15日付け「妙観」は、「ところが、このパーティー、何もかもが、学会側(NSB)のセッティングであったのだ」と創価新報の記事のウソを暴露しました。おまけに、日顕上人猊下と同じテーブルに辻副会長(当時)らが一緒に写っている写真や、NSBのメンバーと女性ダンサーらが交ざった踊りの写真が載っていました。

一方の創価新報では、都合の悪いところは伏せて、写真も日顕上人猊下や御尊師方が写っている部分のみを使用していました。

このリオの御親修に関する誹謗記事は、創価学会のスキャンダル捏造の手口を分かりやすく私たちに教えてくれる良い例だと思います。

日蓮正宗はもともと偽善を嫌い欲望は欲望として肯定するところがありますから、酒宴やダンスパーティーに参加したかしないかということは大したことではなかったと思います。

もちろん常識的な範囲というものはあるでしょうが、リオのサンバ・ショーなどは、明るく大らかな宗風の表れだと思うのです。

創価学会の幹部たちも、そのことを承知の上で、ともに楽しく時間を過ごしたのにもかかわらず、自分たちだけ安全な所に身を置いて宗門のみを批判するやり方はフェアーではありません。