宗教と倫理の間(14)番外9
○○寺支部 獅子風蓮
いざ、白山寺へ
福島駅についてタクシーの運転手さんに、「荒井寺屋敷の白山寺」までと頼みました。しかし、「十年も運転しているがそんな所へは行ったこともない」と言うのです。それでも、地図で調べながらやっと連れていってくれました。
《白山寺は、JR東日本の福島駅から、タクシーで二千円前後の距離。いまや“名所”となったので、「白山寺」と言えば、タクシーがすぐ連れていってくれる》
という「地湧」の表現とは若干異なるようでした。
お目当ての「白山寺」は、運転手さんも知らないのが当然なくらい、畑とたんぼの間にこじんまりとしてありました。
まず「区画」の有無についてですが、たしかに一見しただけでは、学会のいうように、明確に三つの区画に分けられている訳ではありませんでした。
しかし、墓石の古さや整然と並んでいるかどうか、また墓地内の通路によって、墓地全体は五つの部分に分けることができました。ここでは仮に、A、B、C、D、Eの記号を付けました。(下図)
Aにはもっとも年代の古い墓石が乱雑に密集していました。
Bにはその次に古い墓石が、あるていど整然と並んでいました。
Cには比較的新しい墓石が、整然と隙間なく立っていました。阿部本家の問題の墓石はCのほぼ中央にありました。
DおよびEは、部分的にしか墓石が立っていない、一番新しい区画でした。Dにはおよそ60の分譲区域のうち10ほどの墓石しか立っていません。Eにはおよそ70の分譲区域のうちの10足らずです。墓石の建立はいずれも平成2年以後が多いようでした。
おそらく、AとBを加えたものが、「時局文書(1)」にいうところの「第一区画」に、Cが「第二区画」に、DとEを加えたものが「第三区画」に相当するものと思われます。
学会がいうように「区画」は全くない、というわけではなく、宗門の「第一区画」「第二区画」「第三区画」の分け方も、全く誤っているわけではないと思いました。
次に、「塀」の有無ですが、図を見てもらえば分かるように、B+Cと境内の間には、たしかに塀がありました。しかしA+DおよびEと境内の間には塀はなく、その代わりに木立が境内との間の境をしていました。
「時局文書(1)」の「その証拠とも言えることは、白山寺の境内地域と、第一・第二区画の共同墓地との間は塀で仕切られており、第一・第二区画の墓地は寺院に関係なく、道路から自由に出入りができるのである」という表現についてですが、Bは「第一区画」、Cは「第二区画」と考えると、前半部分「白山寺の境内地域と、第一・第二区画の共同墓地との間は塀で仕切られており」は、必ずしも間違いとはいえないと思えます。
しかし後半部分については、問題があります。たしかに学会が指摘するように、この文章では、前後の関係から、第三区画のみは第一・第二区画と異なり道路から自由に出入りできないという印象を与えます。
実際に現場を確認しますと、Eと道路の間には垣根があり、道路から“直接”Eに入ることはできません。
つまり、正しく言うと、「第三区画のうちEについては、垣根の存在から道路から”直接”入ることはできないが、墓地内の通路を介して道路から自由に出入りできる。Dに関しては、A、B、Cと同様、出入りは自由である」ということになるでしょうか。全ての区画について外部から自由に出入りすることができますから、宗門の言い分のうち、後半部分「第一・第二区画の墓地は寺院に関係なく、道路から自由に出入りができるのである」という部分は、あえて「第三区画」に言及しなかった点で、あまり適切な表現とは言えません。
創価学会はこれを「読む人の錯誤を目的に書かれ」た「ペテン」だといいます。しかし、Eと道路の間の垣根の存在など、実際に現地を見てみると複雑な要素が絡んでいることが分かるので、「時局文書(1)」の表現も、全くでたらめということもできないような気がするのです。
とはいえ「白山寺の境内地域と、第一・第二区画の共同墓地との間は塀で仕切られており、第一・第二区画の墓地は寺院に関係なく、道路から自由に出入りができるのである」は、「第一・第二区画」が「第三区画」と異なり共同墓地的性格であることの証明にはなっていません。
ですから、このフレーズの前に置かれた「その証拠とも言えることは」の部分は、残念ながら適切でないと思います。
結局、「時局文書(1)」の「その証拠とも言えることは、白山寺の境内地域と、第一・第二区画の共同墓地との間は塀で仕切られており、第一・第二区画の墓地は寺院に関係なく、道路から自由に出入りができるのである」という部分は、学会が言うほどひどい「ペテン」「デタラメ」とは思えないものの、不適切な部分を含むため、撤回ないし修正をしたほうがよろしいのではないかと思う次第であります。
墓の位置については、「地湧」の記載が誤りであることが分かりました。
つまり、問題の墓は「本堂のすぐ後ろ」にあるわけではなく、墓地のほぼ中央に位置していました。墓石は確かに立派なものではありましたが、学会が誹謗して言うような「周囲を圧するような墓碑」ではないことが確認されました。
あとで分かったことですが、「中外日報」のもともとの記載でも「問題の阿部家の墓は墓地のほぼ中心にあり」とあり、「地湧」で墓地の位置を「本堂のすぐ後ろ」としたのには、意図的なものを感じます。
また、問題の墓は私の区分で言えばC、すなわち比較的新しい墓石が整然と並ぶ区画にありましたので、「地湧」の「阿部家の墓は旧来の檀家として、一番古い拡張前の場所にあると、白山寺では言っている。現地を確認すれば、周囲の墓の相当な古さからして、その説明はうなずける」という記述は正しくないことが分かります。
取材を終えての感想ですが、結論としては、学会が言うように「時局文書」の「ペテン」「デタラメ」が証明されたわけではなく、内心ほっとしました。
一方、「地湧」などの怪文書を使った学会の意図的な情報操作が、ここでも確認されました。
