宗教と倫理の間(5)番外3

○○寺支部 獅子風蓮

昨年来、聖教新聞には連日のように「あることないこと」「ないことないこと」をごちゃ混ぜにした宗門誹謗のキャンペーンが載っています。

また責任の所在を明確にせず、匿名で末寺に送られる「ファックス通信」『地湧』も、単行本『地湧からの通信』としてまとめられ、一般の書店で売られる始末です。

これらの情報のみに接していると、つい「本当かな」「本当かもしれない」と思い、だんだんに宗門や御法主上人に疑問を持つようになる人も少なくないのではないでしょうか。もちろん、そうなるように創価学会が仕組んだわけですから、創価学会の情報操作もかなり巧妙であり、それなりの効果をあげてはいるのだと思います。

ちなみに、「ファックス通信」『地湧』の発行主体は「日蓮正宗自由通信同盟」ということになっており、一応創価学会とは別の組織であるかを装っています。しかし内容的には創価学会の中枢が深く関与していることは明らかです。

たとえば、『地湧』第51号(1991年2月20日)には「造反者」竜年光氏を批判して次のような文章を載せています。

「手記の中でキミは、三代会長就任の経緯を書いて、それに反対したことを名誉会長が根に持っているなどと書いているが、問題にされているのはキミの人間性ではないのかナ。昭和28年1月8日の名誉会長の『若き日の日記』の中に次のような記述があった。

『二時、R宅にゆく。交通事故の弁償金、八万円也を、整理してあげる。心からの礼もいわず、いやな同志と思う。利己主義と、権威主義の同志ほど、情けなきものはなし』

Rとは竜クン、キミのことだナ。バイクで事故を起こして出社もできず生活もままならないようなありさまだったそうじゃないか。昭和28年といえば名誉会長が25歳のときだ。そのとき世話になったんだネ、キミは。」

本来、出版された『若き日の日記』の中にイニシャルで書かれた人物を竜氏と断定できるのは、日記の著者池田氏自身か、出版社の一部の人たちに限られるはずです。

「Rとは竜クン、キミのことだナ」と断定したり、日記に書いていない「バイクの事故」にまで言及することで、はからずも『地湧』は、学会中枢とりわけ池田氏自身ときわめて密接な関係を持っていることを白状してしまったのです。もしかしたら、池田氏の直接の指示で『地湧』の編集方針は決まっているのかもしれません。

『地湧』第113号(1991年4月23日)は、日顕上人猊下が4月15日より御開扉にも丑寅勤行にも出仕していないとし、次のように述べています。

「日顕上人に近い情報筋によれば、その大きな理由として健康上の理由があげられるとしている。日顕上人の痛風と糖尿は、かなり悪化しているようだ。人の目にふれないところでは、車イスを使っているとも伝えてきている。(中略)

だが痛風、糖尿ということであれば、しばらく節制をして質素な食生活を送ることが大事だ。少欲知足を旨として、美食におぼれないことが肝要である。」

また、『地湧』第281号(1991年10月8日)は日顕上人猊下の健康状態について、次のように述べています。

「日顕上人は、みずからの健康を誇示するためにテレビカメラの前で歩いて見せた。車椅子の生活をしているといった噂を払拭するためである。ここで念を押しておくが、日顕上人が、大坊など人目につかないところでは車椅子の生活をしていることは、確認されている事実である。

痛風により、歩行をすれば相当に痛みがある。これは裏を返せば、痛さを我慢すれば歩けるということである。だから、テレビの取材を受けた当日は、無理して大石寺内を歩いてみせたわけだ。ご苦労なことである。」

不確かな情報をもとに、一人の人間の健康状態をあげつらい、ここまで悪意をもって文章化する神経を私は疑います。

私の属する○○寺支部では、昨年12月8日に、脱会移籍者を対象にした記念登山会が行なわれ、私も家族揃って参加させていただきました。

正本堂での御開扉後、大書院において猊下に御目通りすることができました。

猊下は私たち一人ひとりの名前を呼ばれ、しっかりと目と目を合わせて下さいました。中には、猊下に親しくお声をかけていただいた人もいました。

また御目通り終了後、猊下は、大書院脇の庭園まで御自ら私たちをご案内してくださいました。

猊下に御目通りするのはもちろん初めてのことでしたが、私が感じた猊下の印象は、こんなことを言っては失礼なのですが、「お年の割にずいぶんしっかりしていらっしゃる。頭の回転も早いし、話も論理的で分かりやすい。」ということでした。

学会は、おそれ多くも「怒りっぽくて気難しい老いぼれ老人」というでっちあげの猊下のイメージを会員に植え付けようと、さまざまなキャンペーンを行なってきました。

一般の学会員は私も含めて、猊下にお会いしたこともお話を聞いたこともありませんでしたので、「そんなばかな」と思いながらも知らず知らずのうちに、学会が作り出したこのイメージに影響されていったのでしょう。恐ろしいことです。

しかし、実際に心身共に御健康で慈悲深い猊下のお姿に接し、『地湧』の表現が明らかに誤っていることが分かりました。

古くからの法華講の方々は、何をいまごろとお笑いになるかもしれません。しかし私はどうも、なにごとも自分で確かめてみないと気がすまない性格なのです。

いっそ聖教新聞など読まない方がいいのかもしれませんが、私は「資料」もしくは「証拠」と割り切って、聖教新聞を読むことにしています。

学会側の情報は批判的に読んでいるつもりなのですが、時には聖教新聞などの一見「理路整然とした」「進歩的な」主張に引きずられそうになることもあります。そういう時は「ちょっと待てよ、話がうますぎる」と立ち止まることにしています。そして、自由な立場からさまざまな主張を読み聞き、納得できるまで考えてから判断を下すように心がけています。

ただ、学会と外部の主張が異なる場合、判断の材料が不足することもあります。

たとえば、この連載の2回目で、『人間革命』の本当の著者は池田氏ではない可能性が高いと書きました。このことは、「反池田」のさまざまな立場の批判者が共通して言っていることであり、いわば「公然の秘密」です。しかし、確実な証拠があるかといえば、具体的にはほとんどありません。

かつての創価学会・公明党の幹部だった「造反者」が証言したとしても、彼らの言葉だけでは、純粋な「池田信者」にはあまり説得力を持ちません。

私たちの回りにいる「池田信者」の学会員を説得させるのには、具体的な目にみえる証拠を突きつける以外にはないと思うのです。

前回と前々回に、「番外」として、創価学会の行なった情報操作の実例を資料として載せました。英語が混ざっていたこともあり、少々読みづらかったとは思いますが、創価学会の「ウソつき体質」を証明する、一つの実例にはなると思うのです。

今回も、「番外」として、創価学会・池田氏の行なった「ウソ」の証拠を具体的にあげてみたいと思います。


山崎裁判での証言

この連載の2回目で、池田氏が日常的にゴーストライターを利用しているという動かしがたい証拠として、「山崎裁判」の裁判記録をあげました。

この裁判記録は、「継命新聞社」から発行された『池田証言ハイライト』という小冊子に載っていました。私はこの冊子を、神田の古書店でたまたま見つけました。

これによれば、昭和58年10月31日に行なわれた「山崎裁判」の証人として出廷した池田氏は次のような証言を行なったということです。


弁護人:それに関連して、ちょうど一年後くらいですが、証人ご記憶があるかどうかわかりませんけれども、聖教新聞に、恩師の二十三回忌に思うという記事が載ってるんですが。

池田 :いつですか。

弁護人:55年の4月の2日です。

池田 :はいわかりました。

弁護人:ご記憶ありますね。

池田 :載っておったこと記憶あります。

弁護人:これは証人の所感と題する文章ですが、全文証人が、当然お書きになったんでしょうね。

池田 :ではありません。

弁護人:内容については証人はご存じないんですか。

池田 :いや若干は知っておりますが、これは宗門の方から私に、まだいわゆる正信会等が納まんないから、問題が納まんないから、何とかもう一回名誉会長に何らかのわびを書いてもらいたい、出してもらいたい、こういうことが本部にきまして、それで私は、首脳たちがどうしても原稿作成するからお願いしたい、ああ結構です、こう言いました。


教学と私、第一巻を示す

弁護人:これは証人ご存じですね。

池田 :知っていますが、内容は知らない。

弁護人:内容知らない?

池田 :知らない、全然読まない、こんなに厚くて読めない。

 (中略)

池田 :これは誰かに書かしたのかもしれませんね。八矢洋一君かに書かしてなおした場合もあります。たくさんありますから。

弁護人:書かしてなおすというのは、原案は誰かに書かせることはあるけれども、最終稿はあなたが書いて、あなたが責任をもつ……

池田 :そういうことです。

弁護人:この終わりの方に、編集に際して、送り仮名、句読点など若干の文章の検閲がなされた、こう書いてありますから、証人がみんな訂正されたことになっている。

池田 :それは違う、できるわけない。だから八矢君かもしれません。

弁護人:じゃ書物に権威付けるために、格好つけた?

池田 :そうでしょう、会内的な本ですから。

 

両方とも、池田氏が日常的にゴーストライターを利用しているという、動かしがたい証拠となるものです。

ただ、この小冊子を発行している「継命新聞社」とは言うまでもなく「正信会」の機関紙を発行している所であり、創価学会と宗門の両方と敵対する当事者です。少なくとも、公平中立の第三者ではありません。

この小冊子の記述が百パーセント正しいかどうか、少し迷うところもありました。実際、裁判所に出向いて「裁判記録」の実物を確かめようかとも思いました。そんなことができるかどうかも分かりませんでしたが。

そんな時、昨年12月14日の聖教新聞を読んでびっくりしてしまいました。

「さあ、民衆仏法の時代へ」(15)という連載記事で、森田氏が、あの「恩師の二十三回忌に思う」は、「宗門からの指示を受けて、当時の執行部で相談をして出したもの」であり、「破局的な事態収拾のために、池田先生の名前で」出させていただいたのだと語っているのです。

今となっては、「恩師の二十三回忌に思う」で宗門に謝罪したことが不利となったので、「あれは名誉会長の本意ではなかった」ということでしょうが、当時の聖教新聞紙上に見せ掛けだけの欺瞞的な「懺悔文」が載ったという事実は残ります。

思いがけず、「継命新聞社」の発行したこの小冊子は、事実として正しいことを載せていたことが分かりました。

有名な『社長会全記録』も「継命新聞社」の発行です。

「社長会」というのは、創価学会外郭企業の社長らで構成されたもので、池田会長(当時)が昭和42年から約5年間、その会合で懇談的に語ったものをまとめたものが、『社長会全記録』です。

創価学会幹部の野崎勲氏は「サンデー毎日」誌に、創価学会サイドの立場から連載記事を書き、その後『創価学会の真実』(昭和58年)としてまとめました。同書のなかで、野崎氏は次のように述べています。

「いわゆる『社長会記録』というのは、その懇親会の出席メンバーの一人が、メモ風につけていたもので、『社長会』の正式な記録などというものではなく、もとより池田会長の言行録などというものではない。内容をみればわかるように、長時間の割には、話がまことに短かったり、メンバーの発言であったものが全部、会長の発言であるかのように記載されたりしている」

野崎氏の言うとおり、この本の内容は公式な発言ではありませんが、全くの捏造でないことは野崎氏も認めているわけです。そこからはむしろ、池田氏の肉声が感じられます。発言者に注意しながら読めば、資料としての価値はきわめて高い、といえます。

私自身は「正信会」と何の関係もありませんし「継命新聞」の肩を持つつもりはないのですが、彼らが彼らなりに努力して、貴重な資料を世に送り出していることは評価できると思います。